~2011年を振り返って~

acoo

2011年12月29日 21:53

お正月は結翔がまだ3ヶ月だったため青森 に帰らず千葉で過ごし

3月の震災後4ヶ月名古屋に避難し

沖縄の転勤を決めて

7月に義父の一周忌で青森に一週間弱帰省し

千葉に戻ったらすぐ荷造りを始めて

8月に沖縄へお引っ越し。

11月末からまた名古屋に帰省して…

慌ただしい一年でした。

生活の基盤を変えるって思った以上に大変だ ったのに過ぎてしまえば、沖縄に住んでいる ことが普通になっていて。

でも、名古屋に帰ってきたらまた名古屋から 離れたくない病に(笑)

今年一年の約半分は名古屋にいたことになる ので当然かもしれませんが。





それから

今年はいよいよ待ちに待ってない三十路がや ってきました。。

器用貧乏?を活かして新しく雑貨販売を 始めました。

もともと趣味だったのですが。

始めてからもうすぐ3ヶ月。

課題ばかりですが…

アイデアを形にできたとき、それを素敵だと 思ってくださる方がいることがすごく嬉しく て。

アイデアがどんどん湧いて出てくるので 来年も頑張りたいと思います。


それから来年あるディプロマを取ります♪

いつか何かの役に立つように、小さな趣味を 増やします(笑)



何かプチ事業を起こすとしても、マージンは なるべく発生させたくないし。技術や知識を 売るのはコストがかからないし。そういうも のを売ろうとしているわけではないけれど( 意味不明ですね)

でも雑貨販売は続けます!!



話変わって。

今年は大震災でいろんなことを考えさせられ ました。

震災翌日、余震が続く中ビデオを撮っていた 私は昨日の状況を説明しながら涙声でした。 こんなビデオ撮っていたことも記憶にほぼ残 っていません。

毎日のように震災関連の新聞記事を切り抜き ました。

だんだんテレビでも取り扱われなくなり、悲 しい過去のノンフィクション話で終わらない ように。

全ては明るい未来のために、何がおきても確 かな先見力で同じ過ちを繰り返さないように 、自然を排除するより共生する方法を見つけ 出せるように、またどこかで大震災が起こっ たときに、できるだけ落ち着いて行動できる ように…

こんな地獄のような大災害が起きて震えている人を見ても卑劣な事件を犯す人間もいた。
こんな地獄のような大災害で全てを失っても暗闇の中希望に向かっていく人々が大勢いた。
自分のことで精一杯なはずなのに、皆他人のことを心配していた。
自分だけが生き残って申し訳ないとこぼす人もいた。

津波で家財全てが失われたけど、どうしても見つけたいものがあると危険な瓦礫の中を探る家族の探し物は、アルバムだった。
アルバムはその家族や親類にしか価値がないかもしれないけれど、その家族にとって写真の一瞬はかけがえのない過去であること、
命を奪われた、命を取り留めた、命の尊さや家族の絆を再認識させられたから余計かけがえのないものと気づかされたのかもしれません。

教訓を知らしめた悲劇はあまりにも残酷でした。




記事とメモでオリジナルの本を作りました。 子供が大きくなったとき少しでも役に立てば 嬉しいです。




それから最近結翔が熱性痙攣を起こしたこと 。

過去何度か熱を出しても痙攣は起こさなかっ たし、親族に経験者もいなかったので本当に 予測していなくて。

熱性痙攣なら大丈夫だとは思っても、熱性痙 攣か髄膜炎かなんなのか、息が止まったら低 酸素脳症にならないかとか痙攣が止まらなか ったら、意識が戻らなかったら、とか悪いこ とばかり考えてしまいました。

前回の記事にも書きましたが、
私の命と引き換えにこの子をどうか守ってく ださいと大げさでなくて真剣にずっとずっと 祈りながら結翔を抱きしめて声をかけていま した。

今は熱はすっかりよくなりましたが下痢が治 らず。

それから夜泣きが2日ひどかったけど。

やんちゃでいいから元気な子供たちと一緒に 新しい年を迎えたいです。

あ、旦那もね。

明日はいよいよ旦那が名古屋に来ます。




皆さん、今年も大変お世話になりました。

忙しない年の瀬ですが風邪など引かないよう にしてくださいね☆

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